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北海道の風景と鉄道、旅先での写真が中心です。
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今日は曇り。

私は写真館の仕事で再び千歳へ行ってきました。

先日二日間に渡って撮影した某小学校の学芸会は本日で作業終了。
今日は10時間に渡ってPCと格闘しました。

あとは明日現像屋さんに出してプリントの上がりを待つだけです。

明日も千歳で某小学校の撮影・・・は、あるかどうかわからないのですが、後は別な学校の学芸会の選定作業と、卒業アルバムの版下を取りに印刷屋さんが来るそうなので、その作業。

でも、こうして撮影した写真の行き先を見るというのは案外面白いものですね。

仕事は夜11時に終わり、帰り道に何か一枚と思って南千歳の「レラ」に行ってみたのですが、イメージとは異なり真っ暗。
私は最近三脚を使わないことをポリシーとしている(というか、面倒くさい)ので(笑)、潔く諦め帰ってきました。

ということで、ここからは昨日の続きです。

最近、というか昨年の大河ドラマ「篤姫」を見て以来、個人的に幕末ブームでして、幕末と言えば外せないのが箱館戦争。新撰組の最後の決戦の地が函館だったんですね。

で、鉄道も飛行機もない時代、どうやって彼らは函館に来たのかというと、

もちろん、船。

開陽丸等7隻の軍艦で上陸したそうです。

しかし、当時の箱館は日米和親条約で下田とともに開港され、外国船も多く寄港する日本有数の港。

そこに軍艦が大挙して押し寄せては一大事となる訳です。

ということで、榎本武揚ら旧幕府軍が上陸地として選んだのが、函館の北方、森町の鷲の木というところでした。

091129_5.jpg

その上陸地には森町教育委員会によって案内板が建てられています。

しかし、この場所、

091129_6.jpg

海に向けてはかなりの断崖になっているんですよね。

この断崖を乗り越え、目指す函館まではおよそ40km。

車もない当時、この距離を歩いて進軍したとは感慨深いものがありますね。

ちなみに進軍ルートは今の函館本線に沿って仁山を越えるルートと、今の砂原線沿いから戸井・湯の川経由で函館に向かうルートの二手に分かれていたそうです。

函館本線ルートでは峠下で合戦があったとのこと。
峠下とは今の5号線と大野新道の分岐点あたりでしょうか?

普段何気なく通っている道でも、往時を思い浮かべることで何か違ったものに見えますよね。

やっぱり道南・函館って魅力的だなぁと思った2日間でした。

【撮影地:森町鷲の木】

《上:D70+VR18-200、プログラムオート+0.3(1/250、F8)、RAW、Capture NXで現像、ISO200》
《下:D70+VR18-200、プログラムオート+0.2(1/250、F9)、RAW、Capture NXで現像、ISO200》

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